桐山照史という人
前回から少し更新が開いてしまい申し訳ありません。今回は桐山照史という人について書いていきたいと思います。
私が初めてあっくんをテレビで観たのは少クラですね。当時から濵ちゃんにベタ惚れだったので、実はあまり覚えていません。ごめんなさい。ただ、お喋りが上手で面白くてザ☆関西人という印象は持っていました。そのためジャニーズの人、というよりは面白い人って感じです。後、ちょうど関ジュにハマり始めた時期に『ごくせん』が放送されていたのでそれも観てました。
その時に初めてあっくんが演技のお仕事をしている姿を観ました。正直ちょっと演技がクサいかな?って思いました。(橙ジャス民の人ごめんなさい刺さないてください。)
次にあっくんの演技を観たのは『真夜中のパン屋さん』でした。このドラマが放送されていた時は、私はジャニーズから離れていたのできちんとは観ていません。むしろ興味がなかったのであっくんが出ていること自体知りませんでした。母が原作が好きで、録画したものを観ているときにチラッと観たらあっくんが出ているのを知ったという感じです。
今もずっとお仕事頑張ってるんだなあ。はやくデビューできるといいなあ。と、あの時はぼんやり考えていただけでした。
ですが、カウコンでデビューが発表された時は心の底から喜んであげることはできなかったですね。確かにあっくんがもう10年以上ジュニアの活動をしているのは知ってはいたので、本当によかったなという気持ちもありました。
しかし、前の記事にも書かせてもらいましたが、やっぱり私の1番は濵田崇裕くんだから…こちら側としてはなんとも言えない気持ちの方が強かったですね。
きっと本人達が1番戸惑っていたとは思います。
その後7人になったことを知り、今ではジャニストのファンです。
当初、私はどういう経緯で7人になったのかを知りたくてたくさんネットで調べました。その時に、某ドル誌で10000字インタビューのあっくんの記事の内容を知りました。
それを読む限り、今までの私の中の「桐山照史」とはあまりにもかけ離れていました。繊細で、良い意味でも悪い意味でも考え、吸収しすぎてしまう人。
そして、とてもとても優しい人。
カウコンの時こう思ってたのかということも知ることができましたし、ずっと3人に申し訳なさを感じながらデビュー直後は活動していたのか〜と。いうことも知り、
あの企画があのタイミングで回ってきたことは、本当に恵まれていたのではないかと思います。(意図的かもしれませんが)
また、イベントで「しんどかった」と言った彼を観た時、彼は周りの人たちのことを考え過ぎるが故に相当気持ちが塞ぎ込みかけてたのだろうと思います。
それに気づいたお淳太様も凄いです。でもそれ以上に本当にあっくんは周りの人達に愛されているのが伝わってきて、もういろんな意味であのイベントの映像は泣けました笑
個人的に明るいあっくんも大好きだけど泣き虫なあっくんも大好きです。
あと、寂しくて1人だとご飯が食べれないあっくんも大好きです笑1人で食べるくらいならご飯抜くって相当じゃないか・・・・・(´◇`)
今の私の中の「桐山照史」はとっても可愛い人です!行動がいちいち女子で可愛いですよね〜手先も器用ですし料理もできますし。
あと目が可愛い!目がとっても女の子って感じがするのは私だけでしょうか?だから女装しても可愛らしいのかなって個人的には思っているのですが…笑
私も桐子みたいに可愛くなりたい
最近だともうすぐあさが来たで榮三郎役で出る日を今か今かと待ちわびています。26日からと聞いていましたが、23日らしいですね?もうはやくなってくれるなら何でもいいです笑
とても視聴率のいいドラマだから不安だと彼は言っていました。
私は全く心配してません。なんてったって私たちの「桐山照史」ですから。
とにかく榮三郎という役を楽しくあっくんらしく演じてくれればいいなと思っています。
あっくんなら大丈夫!
この記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。次回は中間淳太という人について書いていきたいと思います。ではまた。
小瀧望という人
次は我らがビッグベビーこと小瀧望くんについて書いていこうと思います。
私がジャニーズから離脱する間際にちょうどのんちゃんは入所してきました。なので声は聞いたこともなかったし、雑誌で見たことしかありませんでした。とても可愛らしい少年だと思いましたし、小瀧って名字珍しいな〜顔濃いな〜眉毛も凛々しいな〜って感じて終わりましたね。
そして再びテレビで観た時は1番彼の変化に驚いたかもしれません。
え、小瀧ってあの小瀧?あれデカくない?茶髪やん!!!!!!!こんな声なのね!!!てか垢抜けすぎ!!!!!、!、あ、垢抜けすぎ!!!!、!!!!イケメンになって〜あらあらまあまあ〜
というのが、初めてジャニーズWESTとしてののんちゃんをみた感想です。
その後、彼がどんな人なのかを調べたり動画をみたりして知っていきました。2.5枚目キャラはファンの人から付けてもらったそうですが、まさしくのんちゃんを言い表すのに最適な言葉だと思いましたね。
('・ェ・`)<誰がザキヤマや!!
あと彼の年齢にも驚かされました。私の妹と同い年にはとても見えませんでした。
イケメンで10代であの色気や甘い言葉を言いながらも、がっつり笑いを取りに行こうとするあの姿勢。(むしろ人を笑かすことの方に力を入れている気がする)
そして家族構成的に末っ子だからとっても甘えん坊という見た目からはあまり想像ができないギャップ。
さらに感受性が豊かで割と感情が顔に出やすいまだ子供らしいあどけなさが残る感じ。
すぐ「この子はこれからもっと人気出るぞ〜」と数日しか見てない私でも思いました。この子はビックになるに違いないと。
あんな可愛い弟が私も欲しかったです。きっと全国のジャス民は一度は考えたことでしょう。
あとお姉ちゃんが羨ましいと何度思ったことか。
ここまでだったら、私はあくまでも弟を見守るような気持ちのまま応援していくつもりでした。何て言うんでしょう…そこまで大好き!!!!!もう大好き!!!!、とはならなかったと思います。
なんとまあ濵田崇裕という男にべったりではありませんか。もはや異常なくらい。
自担とイチャイチャしているのをあんなにも見せつけられたら…もうのんちゃんが可愛くて可愛くて堪らなくなります。
のんちゃんにひたすら甘えられる濵田崇裕さん…そしてそれが嬉しい濵田崇裕さん。
公共の電波を使って「もっと俺との時間を増やして欲しい」「濵ちゃんが思ってる以上に俺は濵ちゃんのこと愛してるからな」と言い放つのんちゃん。スキンシップが異常なのんちゃん。
これを可愛いと言わずしてどうするか。あれを見て母性本能をくすぐるない人なんていないでしょう。
実は昔はのんちゃんのことが苦手だった濵ちゃん。
それがいつのまにか今のようになったと知った時、この子は本当に人の懐に入るのがうまいんだなと思いました。それがまた生まれ持ったものだと考えると恐ろしいです笑
もうすぐのんちゃん主演の舞台が始まりますが、きっとあの誰からも好かれるのんちゃんならとてもいいカンパニーを築き上げるのでしょう。
舞台で学んだことや経験をたくさん吸収して、ひと回りもふた回りも成長して帰ってきてくれることを楽しみにしています。
そしてその経験を糧にして、さらに躍進していってほしいですね。のんちゃん応援してるぞ!
この記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。次回は桐山照史という人について書いていこうと思っています。ではまた。
重岡大毅という人
今回は我らがセンター重岡大毅くんについて書いていきたいと思います。
前回も書きましたが、私は2009年頃ジャニーズという世界から離れ、今年の4月にまた戻って来ました。
そのためシゲちゃんのジュニア時代をほとんど知らないっと言っても過言ではありません。7WESTとしての活動の様子は動画サイトで観て少し知っている程度です。
とても日が浅いですが、その少ない日数の中でも感じたことを書いていきたいと思います。
私が初めてシゲちゃんを知ったのはジュニアにQのコーナーでした。確かテーマが「僕のチャームポイント」?だったかな?まだ濵ちゃんを好きになったばかりで、その時はコーナーの司会を濵ちゃんがやっていたので観ようかなという感じて観てました。
呼ばれて登場した彼をみて、とても可愛らしい女の子みたいな子だなというのが第一印象です。そして、チャームポイントに彼は「えくぼです。」と答えていました。
そして実際えくぼを作って見せてましたが、
正直私は「骨がヘコんでるだけじゃないの?
笑」って感じでしたね。いや、だってあの場所に窪みができるってことは誰でも骨陥没してるって普通思うと思いますけど…違いますかね?
とにかくインパクトは強かったです。
私の中のシゲちゃんは「窪みの子」で、雑誌で髪の毛外巻きにしてる子というイメージで終わりました。
何年か経ち再び今年の4月にシゲちゃんと出会いました。
あれ窪みなくなった?ていうかえ、赤の衣装???センターってこと?待ってだいぶ男らしくなってないか?
正直戸惑いましたね。6年で随分と男性らしさが増していましたが、あのあったかいキラキラした笑顔は全く変わっていなかったので安心したのを覚えています。
それと同時に、この子がセンターなのか…という印象でしたね。正直私が少クラを観ていた時は前の方であったり、メインで歌ったり踊ったりしているところを観たことがなかったので驚きました。
この子はジャニさんのスペオキかな?とも考えていました。兄組や神ちゃんや流星の方がジュニア歴は長いから、その子たちをメインにすればいいのに、と。
要するに苦労知らずの子なのかなと思ってたということです。こういう子は正統派なセンターになるんだろうと予想してました。関西の子だけどあんまりボケとかには回らないポジションの子なのかなと。関ジャニでいう錦戸くんみたいな。キラキラポジション。
まあそんなことはなかったよね!!!!!!
ジャニストにハマりラジオや少クラを漁りまくりましたが、まあ見事に期待を裏切ってくれましたね。
えげつないぐらいゲスくてもう凄い…変顔はするわボケ倒すわウ◯ンコ発言するわ駅でイチャついてるカップル見て「改札のバーンってなるところでバーンってなって挟まればいいのに!!!!」って言うし…個人的に1番笑ったのは、ウケる〜と言っているのに笑ってない人に対して
「ウケてるならわ ら え」です。
アッこういう子ねめっちゃおもろくて私好きだわ。って即座になりました。一瞬にして印象が変わりましたね。
いい意味で余計何でセンターなんだって思いが強くなりましたが笑
でも、ジャニーズWEST7人を好きになった今だからこそ、センターになった理由が分かる気がします。
普段はあんなにふざけてるけれど、とても仕事熱心でストイック。また、結構色々考え込んで悩んでしまうところ。
努力家でアイドルであることに誇りを持ち、それを全うしようと常に前に進んでいる。
そして何よりも、ファンのことを念頭に置き元気や幸せを届けようとする気持ち。
その気持ちが私たちに伝わっていることも彼自身はきちんと認識し、そんなファンの人達に自分が支えられているから、またその感謝を伝えようとしてくれる姿勢。
なるほどな〜そりゃついていきたくなるよね。ついていきたいって思うもんね。
もちろん他の6人も同じくらいファンの事を大切にしてくれています。
でも、何故か…何故かシゲちゃん。ってなってしまうんですよね。
どうしても惹きつけられる、自然と重岡大毅という人に。
だから重岡大毅がセンターなんですね。
すいません。うまく伝えることができなくて。
これからもずっと私も含めファンの人達を惹きつけていてほしいです。
この記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。次回は小瀧望という人について書きたいと思っています。ではまた。
私と事務所〜少しの絶望&再開編〜
前回からの続きです。
ジャニーズという世界から離れたのは2009年あたりです。恐らく小瀧望くんが入所されて少し経った頃ですね。
それとちょうど入れ替わるように、私はボーカロイド(通称ボカロ)にハマっていきました。私がハマった時期はちょうど『人柱アリス』という曲が流行っていました。あの独特な世界観を持った音楽や音声にすっかり心を持って行かれ、『悪ノ娘』シリーズや「鏡音三大悲劇」と呼ばれる楽曲などに出会い、さらにのめり込んでいきます。
そして、程なくして「歌ってみた」というジャンルの存在を知りました。当時の私は曲を頻繁に聴くようになってから、ボカロ曲を一般の方が自分で歌い、それを動画サイトに投稿している人達がいるということを知りました。
衝撃的でしたね。一般の方でこんなに歌がうまい人がいるのかということに驚きました。また、歌い手と言われる人達がたくさんいることにも驚きましたね。(まあ正直歌い手という人達全員が上手いとは思ったことはありません。人気な人でも個人的に下手だと思う人はいました。あくまで個人的に。)
ボカロと並行して、元々アニメが好きだったということもあったので、アニメにもハマっていきます。一時期は1クールで8つ追っている時もありました。今思うとやばい。
現在は昔ほどではありませんが、アニメや声優さんは好きです。
そんなヲタクまっしぐらな生活を送っていても、毎年カウコンだけは観てました。もう家族の年越しの恒例行事みたいなものでしたから。
そして2013年のカウコンで、私はまた絶望を味わうことになります。
あの瞬間、私は思いました。
「ああ、この世界は何も変わってない。同じ事を繰り返しているだけで、何もファンのことなど理解していない。何がジャニーズだ。」
大好きなあの人が、1人になっても頑張って歩んできたのに…外された側にいたから余計に腹が立ったんだと思います。(あの人の当時の相方さんが辞めてしまったのを知ったのは2011年のことでした。ふとした時に調べたことがきっかけです。)
あのカウコンで私はジャニーズを完全に見捨てました。
時は流れ2015年4月。とある音楽番組の特番を妹が録画していました。何でも三代目が出るから録画したとのこと。
私はザイル系の人達はあまり知らず興味もなかったので、録画したんか〜。くらいにしか思っていませんでした。
それから数日が経ち、家に帰って暇だな〜と思いながら妹が言っていたことを思い出したので特番を観ることにしたんです。
これは夢なのか。
7人座ってる。7人が同じ空間にいる。衣装を着てキラキラしてる。
何よりも濵ちゃんが、濵田崇裕がいる。
泣きました。咽び泣きました。
こんな奇跡があるのかと。
番組を観終わってからすぐ7人になった経緯や、7WESTの残りのメンバーのこと(その時は、まだ6人で活動を行っていたと思っていたため)、そして私が当時知っていた限りの関ジュの現在について調べました。
知っていた人達はほとんど辞めていたので悲しかったです。
私が離れていた間にかなりの変化があったのですね。最初は信じることができませんでした。ですが今も道は違えど前に進んでいることを知りホッとしました。
7人になった経緯を知り、私は「この人達なら信じることができる。4を7にしてくれたこの人達なら、夢を見せてくれる。きっと…きっと大丈夫。」と思いました。
こうして何ともまあ勝手ですが、再びこの「ジャニーズ」という世界に戻ってきました。
以上が私と事務所です。今は濵ちゃん濵ちゃん言ってます。
だいぶ長くなってしまいました。全部読んでくれた方はいるのでしょうか?もしいましたら、本当にありがとうございます。記事ひとつ読んでくれた方も本当にありがとうございます。
もしご要望がありましたら、コメントしていただけるとありがたいです。
改めてこの記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。ではまた。
私と事務所〜お別れ編〜
前回からの続きです。
ある時、こんなニュースを耳にしました。
「Hey!Say!JUMPというグループがデビューする」
目の前が真っ暗になりました。メンバーを見てまず最初に思ったことは、
「何だこのグループは」でしたね。正確に言うと「何で翔央と太陽くんがいないの?何で別々のグループのメンバーを混ぜるの?ハッシーや他のJ.Jの子達はどうなるの?」みたいな感じでした。
でも、それ以上に
「Ya-Ya-yahはこれからどうなるの???」という想いの方がずっとずっと強かったです。
今となって考えると、ジャニーズの中で他のグループ同士が複合することも、メンバーから外される人がいることも珍しいことではありません。実際、生田斗真くんの様に嵐から外されてしまった人でも俳優としてお仕事をしている人もいます。風間くん、屋良くんも同様に。
それにJUMPのみんなは何も悪くないですもんね。事務所が決めたことだから。
親にも仕方のないことだと言われました。ですがまだ14歳だった私にはそんなこと到底理解できなくて。信じられなくて。受け入れることなんてできませんでした。
あまりにも悲しい。でも誰にも言うこができなかった私は、泣きながら毎日毎日ノートに自分の想いを書き殴っていました。
そんなことを思いながら少クラのクリスマススペシャル観ていた時です。番組内のリクエストコーナーで「Ya-Ya-yahが大好きです。ぜひ曲を流してください。」というお便りを紹介されている時、ふと薮くんと光くんがカメラに抜かれていたんです。
お便りの内容に2人共険しい顔で頷いていました。その時あまりにも内心複雑で、葛藤してどうにもならなく悩んでいる様子が表情にでていたのを覚えています。
それを観て私は「本人たちが1番悩んでいるのに悲しんでいる場合か」と思い直しました。まあ実際どう思っていたのかは分かりません。あくまで私にはそうみえただけですから。
結果、私はどうであれ彼らを応援していこうと思いました。デビューはとてとおめでたいことだし、念願の夢が叶ったんですからね。ある程度気持ちにも整理がつき、前と変わらず雑誌を買ったりCDを買ったり中学3年の時はコンサートにも行きました。とても素晴らしかったです。
しかし、時が経てば経つほど比例するように違和感は増していくばかり。
ある時ふと思ったんです。やっぱり違うと。何がきっかけだったかは覚えていません。ただ、『真夜中のシャドーボーイ』が発売された時期あたりだったことは覚えています。薮くんと光くんを見て「何でこの人たちはJUMPにいるんだろう。」と。
そう思った瞬間、スッと冷めきった気がしました。今まで応援していたみんなをみても何も思わなくなり、「ジャニーズ」そのものに魅力を感じなくなってしまっている自分がいました。あまつさえ、「ジャニーズ」という会社そのものを憎む気持ちさえ芽生えました。よほど、Ya-Ya-yahの時のショックが拭いきれていなかったんでしょうね。自分の中で切り替えていたつもりがそうではなく、ただ単に悲しさから逃げたくて無理やり好きになろうとしていたのかもしれません。
こうして私はしばらく「ジャニーズ」というキラキラした世界とお別れをしました。
身勝手な言い方ではありますが、
私はジャニーズに傷つけられ絶望を感じました。しかし数年経ち、その傷を癒しそして再び夢を見せてくれたのもジャニーズでした。
この記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。少しの絶望&再開編に続きます。もしよろしければコメントなど頂けるとありがたいです。ではまた。
私と事務所〜ジュニア編〜
さて、前回は山田涼介くんに出会ったところで終わりました。
私が彼に出会ったのは、Mステの青春アミーゴのバックで踊っている時でした。当時の彼は野ブタ。に出ていた中島裕翔くんの隣で踊っていて、その時の私は「可愛い子が踊っているな」という程度の認識でしたね。しかし、滝翼のVenusやHo!サマーで踊っている彼を観ているうちに、気付いたら好きになっていました。
しまいにはバックにいる山田くんが観たいがために音楽番組を録画するというところまできてました。ほんと沼、山田沼・・・・。あの時から山田くんはダンスがお上手でした。キレキレで尚且つ動きが滑らかで手先まで意識して踊っていた印象があります。ここ最近は山田くんのダンスを拝見していないので、どのように進化されているのかは知りません。(ファンの方ごめんなさい)
ドラマももちろん観てましたよ!『探偵学園Q』とか『1ポンドの福音』とか『スクラップティーチャー』とか…とりあえず山田くん出てるなら録画って感じですかね。ちなみに『探偵学園Q』の時に志田未来ちゃんが山田くんにアーンしてるのを観て、一時期未来ちゃんを毛嫌いしていた時期もありました…笑懐かしい。
雑誌も買ってもらっていました。ピンナップも自分で切って、机の前の壁に貼ったりもしましたよ。(余談ですがこの時初めて関西ジュニアを知り、初めてかっこいいと思った人は神山智洋くんです。)
しかしそれでも飽き足らず、とうとう『少年倶楽部』にも手を出しています。
そしたらまあハマることハマること…笑。キスマイやA.B.C.(現在のA.B.C.-Z)もいたしJ.Jexpressもいました。河合くんはもう既にモノマネやってましたね〜。松潤のwishのダンスはもうお腹抱えて笑ったもん。それと同時に、私にとって山田くんと同じくらい大好きな人達ができました。
その当時は、ジュニア時代に単独コンサートを行ったのはKAT-TUNしかいませんでしたが、それに続いたのがYa-Ya-yahです。確か3回ほど単独コンサートを行っていたと思います。多い時は一ヶ所で何日間かかけて15公演やっていましたから。
さらには、りぼんという少女漫画雑誌で『Ya-Ya-yahがやって来る!』という連載漫画もあったほどです。今思うと凄いですよね。
名曲もたくさんありました。ikujinashi、2 of Us、just wanna lovin' you、START!、HARU・NATSU・AKI・FUYU、サマー×サマー×サマー!、手をつないでいこうetc…今でもたまに動画サイトで聴いたりしています。もし興味を持たれた方がいましたら、ぜひ聴いてみてください。薮くんの歌声は今も昔も変わらないです。
どんどんジュニアのみんなを好きになっていく私。
そして毎年夏に少クラで放送されるin大阪。それを観て一目惚れしてしまった人がいます。
このようにいい具合にジャニーズを拗らせていく私ですが、後に「ジャニーズ」という会社に怒りと絶望を感じお別れを告げることとなります。
未だに思うところはあります。
察しの良い方ならもう分かるかもしれません。
この記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。お別れ編に続きます。もしよろしければコメントなど頂けるとありがたいです。ではまた。
私と事務所〜出会い編〜
少し過去のことを振り返ろうと思います。
私が結果的に1番最初に好きになったジャニーズの人はV6の長野くんです。小さい頃にウルトラマンティガを観ていてそれがきっかけですね。当時は「ジャニーズ」なんてものも理解していなかったです、当たり前ですよね。なので結果的にって意味なんです。ダイゴ役の長野くんは本当にかっこよかった…当時私は2歳でした。
時が経ち「学校へ行こう!」を妹と一緒に観るようになり、どんどんV6にハマって行きました。(一昨日やったスペシャルで灘6が出てきた時は感動しました。)また、母もKinKi Kidsにハマっていきます…笑。
そして私が完全にジャニーズという沼にハマるきっかけになった出来事があります。
そう「野ブタ。をプロデュース」!!あれで完全に亀ちゃんを好きになってしまいました。なんとまあ単純な…。いっぱいグッズ買いましたね〜下敷きとかクリアファイルとか笑
その後すぐに6人でデビューしたので、CDを親に買ってもらいました。グロリア(綴りが分からない)大好きでよくカラオケで歌ってたな〜
そのままKAT-TUNにハマっていくと思いますよね?違うんです。
その子の名前は山田涼介。
この記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。ジュニア編に続きます。
ではまた。